伊藤旅館 八幡浜センチュリーホテルイトー

【創業】

 弊社の創業は、昭和4年(1929年)です。紡績が盛んで海運の拠点だった八幡浜では、四国で初めて電灯が灯り、愛媛初の銀行も設立されました。更に行商や交易が活況を呈するにつれ宿泊需要が高まりつつあったようです。今治沖の岡村島出身で親戚の旅館に勤めていた伊藤カツが今治や松山の商売人の方々の要望に応え、八幡浜に移住し女性創業者として伊藤旅館を開業しました。

写真の建物は改築時に曳家(ひきや)によって移転され、弊社の向かいに今でも現存しています。


【戦後復興と共に】

 サンフランシスコ平和条約が締結されGHQの占領下にあった日本の独立が決まった昭和26年(1951年)に、「株式会社伊藤旅館」として法人化を果たし、戦後の復興と共に新たな時代へと前進しました。

八幡浜センチュリーホテルイトー 八幡浜青年会議所 広報誌
八幡浜青年会議所
広報誌創刊号

(昭和27年発刊)

八幡浜青年会議所 広報誌 伊藤旅館 広告
八幡浜青年会議所
広報誌創刊号
弊社掲載広告

 昭和27年(1952年)八幡浜に四国で初めての青年会議所が設立されました。その年に発刊された広報誌創刊号に、弊社の広告が掲載されています。現在はJRとなった「日本國有鉄道」の表記や、旧字体である「會社」の名称、そして電話番号が3桁の「413番」であることなど、当時の時代を感じることができます。


【高度成長期を迎え】

 昭和39年に八幡浜⇔臼杵のフェリーが就航、翌40年には八幡浜⇔別府のフェリーが就航し、道路交通網の発達と相まって、八幡浜の四国の西の玄関口として役割がますます高まりつつありました。そんな時代の要請により、昭和41年に一部改築を行い、洋室の客室や大広間の宴会場を備えた鉄筋三階建ての新たな本館が誕生しました。婚礼や様々な行事ごとなど、幅広いご要望にお応えできる施設としてリニューアルされました。

 また昭和49年(1974年)に完成した八幡浜港の観光ビルにおいて、うどん屋「古里庵」も開業しました。


【八幡浜の新たな時代と共に】

 石油ショックの厳しい時代を経た後に、日本でも大きな社会の変化が起こった1980年代を迎えました。八幡浜でも大規模な埋め立てが行われ、八幡浜市役所や愛媛県八幡浜地方局が移転によって町の様相が大きく変化を遂げました。また佐田岬半島を走るメロディライン(197号線)も徐々に延伸し、昭和62年(1987年)には完全に開通しました。そんな時代において、地域の皆様や八幡浜にお越し頂く方々の更なるご要望にお応えすべく、「伊藤旅館」は全面改築を行い、昭和60年(1985年)8月に鉄筋7階建ての「八幡浜センチュリーホテルイトー」として生まれ変わりました。また企業としての組織強化を行うべく、社名を「株式会社伊藤旅館」から「株式会社イトー」に変更し、婚礼や仕出しなど新たな事業展開を行いました。

▶株式会社イトー概要

八幡浜センチュリーホテルイトー 全景 建物


【新たな食文化の確立のために】

 IT化や経済のグローバル化が潮流となり21世紀を迎えました。商慣行や技術が著しく変化を遂げ新たな時代に突入した一方で、地方においては少子高齢化の進展による経済衰退への懸念が叫ばれるようになりました。

「地域の持続的な発展を実現するには観光地化しなければならない」

「最も有効な地域活性化策は飲食業を盛り上げることである」

 その理念に基づいて、地域の飲食店の仲間と共に、様々なプロジェクトを推進しています。先ずは八幡浜市と保内町が合併した平成17年(2005年)には八幡浜ちゃんぽんプロジェクトに着手。八幡浜のソウルフードである「ちゃんぽん」を新たな名物としてPRし、交流人口の増加に尽力してきました。

八幡浜ちゃんぽんバイブル 八幡浜センチュリーホテルイトー
八幡浜ちゃんぽんバイブル
ワールドちゃんぽんクラシック 八幡浜センチュリーホテルイトー
全国のご当地ちゃんぽんが結集したイベント

その後、いくつかの飲食プロジェクトの旗振り役を微力ながら務めてまいりました。現在は八幡浜が日本有数の漁獲高を誇る鱧を活用し、「えひめ技あり鱧プロジェクト」を推進し、八幡浜の飲食業や水産業の発展を願って、新たな食文化の確立を目的に様々な関係者の皆様と活動を展開しております。弊社でも鮮魚販売届けを提出し新たな水産加工品開発を行うと共に、企画会社との共同で八幡浜ツアーを実現しております。

えひめ技あり鱧プロジェクト 八幡浜センチュリーホテルイトー
えひめ技あり鱧プロジェクト
水産加工品販売にも着手
大・八幡浜展 八幡浜センチュリーホテルイトー
大・八幡浜展
えひめ技あり鱧プロジェクト バナー
八幡浜センチュリーホテルイトー 鱧
えひめ技あり鱧プロジェクト